続・音楽によるROCKによる生活

音楽(ROCK)中心のブログです

海の方向へ

 
 
      
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ゴールデン・ウィークに仙台に行った際、帰る前の日に荒浜という海岸へ行ってきました。
当時、まだ仙台に居た頃は海に行こう!と意味もなくよく友達を誘い、しかも図々しくも友達の運転で海岸へ向かいました。確か、自分が住んでいた所から車で30分ぐらい。荒浜っていう名前の通り、波の荒い場所のため、夏の短い期間しか泳いだりできない。
たぶん、殆ど泳いだりはせず、多分・・・車中ではレッチリなどを大音量でかけて、海岸沿いに着いたら着いたで、ただその辺りを歩いてだけだったと思います。
 
一時間に一本しか出てないバスに乗り、荒浜へ一人で向かってみました。乗客は、自分と同じぐらいの歳の男二人組と一眼レフをもった男性が一人と夫婦。夫婦は途中の住宅街でバスを降りました。私がバイクの免許を取った際も、ここの道を二度ぐらい走ったのだけど・・・色々思い出そうと頭を巡らせていたら、荒浜の海に着いてしまいました。
終点のふたつ手前の停留所。終点までは、今は走らせていないとのこと。バスの運転手さんに海はどっちですか?と聞くと、松林のある方だと答えてくれたけども、その方向には松林は点々としかない。住宅が密集していた場所は、今はすべて住宅のコンクリートの土台の跡地を残してほぼさら地になっていました。
 
とりあえず、乗っていた乗客はみんな降りて(といっても4人だけ)、海の方面に歩いてみました。
住宅の跡地には、荒浜を危険地域に指定した市への抗議の手書きの看板がいくつもありました。
堤防に着くと、車で訪れた人などが何人か居ました。慰霊碑があり、そこにいくつもの名前が刻まれていました。手を合わせ、堤防に上ると、昔と変わらぬ波の荒い広く青い海が広がってました。
 
堤防を歩き、適当なところに腰を下ろし、その頃の十代だった自分は何を考えて海を見てたのかな・・と思い出してみました。当時、友達と深刻な話はひとつもしなかったから、多分何も考えていなかったいなかったんだろう・・・。
 
20分ほど海を眺めて、帰りの停留所に向かう。道すがら、あの出来事から時が止まったかのような、半壊の橋と住宅がポツンとありました。帰りのバスも、行きのバスと同じ4人が乗り込みました。
 
途中、自分が住んでいた近くの商店街にも寄ってみました。去年、訪れた時はまだ半壊の建物もまだあったが・・・綺麗に何もなくなっていました。道すがら、シャッターが降りた店などを中年の夫婦が手を繋ぎながら何度も立ち止まり、張り紙を眺めていました。勿論、営業している店も結構ありましが、自分が記憶している店は数えるぐらいしかなく。復興が進むというのは、何も無くなってしまうこともあるのか・・・と、さっき見た半壊の橋を思い出しました。
帰りは地下鉄に乗り、賑やかな仙台駅周辺に戻りました。
 
今度はレンタカーでも借りようかなと。でも、マジで道とか殆ど覚えていない。
ほんとーに、あの頃は何も考えてなかった。今もちょっとその傾向をひきずっていますが・・。