中学の友人から、結婚しましたと手紙がきました。
多分、十年ぐらい会って喋っていないかもしれない。
当時は、漫画ばっかし読んでる中学生でした。授業がついていけずノートや教科書に落書きばかりし
てる、要はおちこぼれでした。
中学三年生になって、小学生からの友達に誘われて放送委員に入りました。
友達は音楽とファッションが好きで、ダサかった自分にいろいろ教えてくれました。
ただし、いわゆるなロックが嫌いで。当時流行ってた尾崎や長渕、ボウイなどは完全拒否してました。
好きなのはもっぱらニューミュージック。TMや稲垣潤一や渡辺美里、あとワム!とか。
その放送委員では、昼食時間にリクエストの音楽をかける役目でした。それが好き勝手にやれて楽しかった。
笑える話、声の通りの悪い自分がアナウンスをして、友達はミキサーに居てガラス越しにカウントや
曲出しをしてた。
今思えば、友達は漠然と将来、スタジオの仕事などやりたかったんだろうなー。
放課後は、放送室に集まって放送担当の先生や放送委員の同級生数人で音楽や学校のことを喋り、帰りは
放送でかける曲を探しにレンタル屋に通ってました。
他にも放送委員が居ました。いわゆる不良といわれる人たち。そいつらと交互に昼食時間を担当していて。
不良どもは分っかりやすく、長渕、尾崎やボウイをかけてた。結局、友達はそいつらに対抗してた訳です。
だから帰り際「くだらねぇ音楽かけてんじゃねえよ!」とからまれたりもしました。しかし、陰では殴られたり
してた同級生も居たけれど、結局、直接には絡んではこなかった。あとになって気が付いたのは、
近所の低学年からの親友や友達がその不良のグループに入ってたから、自分はボコられなかったのだなと。
にしても、その親友らがグレてたことを、クラスが違ってたからとはいえ気が付かないくらい、
学校はつまらなく、毎日嫌々通ってました。勉強はまったくしなかったし。
結局、学校側からしたら、自分らもそいつらと同じようなモンだったんだなー。クラスの席替えでは、
廊下側の後ろの方にされ、いわゆる周りはそのいわゆる不良共ばっかしのハズレの席でした。
そんな当時、テレビでスキンヘッドの頭を振りながら唄うバンドを見て、即、レンタル屋でそのバンドの
CDを借りました。放送室で、そのバンドの曲をかけた日は、不思議とそいつらは絡んでこなかった。
ロック嫌いの友達も、そのグレちゃった連中も、納得させてしまうこいつらは凄い!と当時は思いました。
だれのこともうらんじゃいないよ/ただ おとなたちにほめられるようなバカにはなりたくない/
そしてナイフをもってたってた/そして いろんなことがおもいどおりになったらいいのにな
ご存知の通りブルーハーツでございます。
学校行くのがしんどかった日は、この曲をかけて渋々と家を出たものです。
高校受験も近くなって、放送室で同級生と顔を突き合わせて、これからどうなるんだろうなぁと暗い気持ちに
なりました。その頃には、余りの成績の悪さに青くなった親に勉強させられ、無事、進学はしましたが。
去年の夏、クロマニヨンズのライブをイベントで見ました。ブルーハーツの曲は一つもやらないけれど、
相変わらずなヒロトとマーシーを見て、盛り上がったなー。たのしかったのなんの。
ロックというもは、結局、ずっと青臭く生きていくということなんだろうなぁ。
とりあえず、中学の友人の結婚でこんなことを思い出しました。けっこん、おめでとうさんです!