続・音楽によるROCKによる生活

音楽(ROCK)中心のブログです

世界の果て、と宇宙の真ん中

  
 
  フジロックに行く前の日は、テレビや新聞雑誌などが皆既日食で賑わっていました。
  
  「東京は曇ってるし、位置的に余り見れないんだよ」とめんどくさくなって、朝以降は
  テレビもパソコンも見ませんでした。あと、外に出掛ける際に携帯すら家に置いていってしまった。
  夕方過ぎ、家に帰ってくると友人から携帯にメールが何通か入っていました。
  アベフトシが・・・という字を見て、心臓がドンと跳ねて、思わず携帯をパタっと閉めてしまった。

  期間中の宿では、清志郎とアベの追悼をするのか・・とボンヤリ考えてると、サッパリ寝ることが出来ず。
  とはいえ、フジの会場では爆音のロックンロールで、彼らを見送るんだーと気合を入れて会場に
  足を運びました。
  そして、バースデイと清志郎のトリビュートバンドの一日は前の日の大雨が嘘のように晴れました。

  ミッシェル・ガン・エレファントを初めて見たのは、98年の豊洲でのフジロックでした。
  彼らは、突っ張っていて落ち着き無くて青くて、それでいて粋がよくて高校生みたいだな~と思いました。
  単純に白シャツにネクタイというルックスが学生みたいだったからなんだけども。
  その半年後、横浜アリーナでのワンマンライブに当日券で見に行きました。ブロック分けされており、一番後ろ
  で見ていました。二時間、途切れることない堂々の爆音のロックンロールに、終始圧倒されました。
  ラストのダニーゴーでは、後ろで見ていた車椅子の人と松葉杖をついた人が、いつの間にか自分より前に
  来ていて、拳を突き上げていました。ミッシェルって凄いなー!と感動したのを覚えています。

  その後、何度かイベントやワンマンに足を運びました。
  アベフトシをライブハウスで見た印象は、忙しいというか余裕がないというかせわしないギターリストというか。
  闘志むき出しの表情でギターを高速でかきむしっていて、そりゃ痩せるよ!なんて思ったり。
  そしてあの細い身体で弾くギターから出る音が、轟音でガリガリと激しいのだが、一瞬、まるで
  閃光が走るみたいに美しくて。爆音の中で現実感が薄くなっていく瞬間が何度もありました。

  ミッシェル後期は、ファンの間でよくバンド解散説や休止説が噂されました。
  そんな中、ロデオ・ダンデム・ビートスペクターの発売が決まり、その発売日に代々木でミッシェルの
  フリーコンサートがありました。雨の中、赤毛のケリーを聴いて、そのロマンの詰まった曲に高潮しながらも
  悲しい、、と思ってしまった。そして、その時の雨雲が覆った空に鳥と雲がゆっくりと風に流される光景が
  曲と共に記憶に残りました。このバンドは、長く続けて行くとかを、考えられない・・・・。

  ミッシェルが解散した後、アベさんは元スネイルランプのアキオ氏と一緒にやったりと、たまに出てきては
  マイペースでギターを弾いていたようです。このまま、鮎川誠みたいにバンドやったりソロで弾いたりする
  渋いギターリストになるのかなーと、勝手ながら、むしろそうなって欲しいと思っていました。
  でも、アベさんはずっと変わんなかったんだな。ギターも生き方も、若くて青く真っ直ぐなところがまんま。
  それは、それなりの苦労や苦悩もあったんだろうけれど、それをやり通したんだから。。

  フジロックのステージでのチバとキュウちゃんは、少し険しい顔をしながら気を張って、全てを受け入れようと
  ステージの上で身体を振り絞るように唄って演奏していました。
  太陽の日差しが強くて暑くて、ピーカンの下の山や木が目に痛いぐらい真緑でした。
  "そう、ロックンロールって最高にかっこいいし、楽しいんだよ!"
  って言っててくれてたのかもしれないな。